永世国家を守護する

家康公の鎮座する社

御由緒

HISTORY

当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。

当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。

安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。
死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。

御祭神
徳川家康公

一、神紋 三つ葉葵

一、社宝 御神像(東京都重要文化財)

大公孫樹(家光公御手植天然記念物)
※月次祭・毎月十七日 午後一時斎行
※末社(分祀)丸山稲荷

神木の大イチョウ

御祭神は徳川家康公で、勝運の神として、参拝の方も多く、都会のオアシスとして人気があります。家康公の像は東京都重要文化財に指定されております。

例大祭の四月十七日頃に境内の桜が満開になるのは不思議ですが有名な話です。おふたりでのお式や少人数様でのお式をお考えの方には静かで自然に囲まれた芝東照宮の挙式をお勧めいたします。